恩師「池原悟」先生への追悼

私の恩師でもある,言語処理学会会長の池原悟先生が1215日午前655分に永
眠されました.訃報は,私にとって,ある程度覚悟していたことでした.しか
し,”まだまだ元気ですね,”が”大丈夫ですか?”になり, ”退官まで大丈
夫でしょう,”と変わって,”年は越せるだろう.”となり,最後に急変され
ました.淋しかったです.まだまだ,議論したいこと,相談したいことがたく
さんありました.

池原先生と私との関係は,私の1986年のNTTの入社に始まりました.私は,学生
時代,周波数推定の問題に取り組んでいました.そこで,人事担当に,信号処
理ができる研究室なら,どこでもいいといいました.しかし,自然言語処理研
究室に配属になりました.当時の自然言語処理は記号処理です.ですから,非
常に場違いのところにきたと.まどったものです.そこで,池原先生に出会
い,音声認識のための言語処理をやってみてくれと言われました.当時の文認
識は,まだ100単語ぐらいのものです.文法はルールベースです.池原先生
は,10万単語の文認識をする場合,単語連鎖確率がある程度利用出来そうだと
考えていました.そこで,どれくらい有効であるのか,定量的に調べてとのこ
とでした.そのときは,まだコンピュータパワーが乏しく,私は,IBMbackupテープをもってかけずりまわっていました.池原先生は,当時,すでに
日英翻訳システムに取り組み.こちらがメインの仕事でした.そこに,音声認
識において連鎖確率が非常に有効であることを示して,うれしいそうな顔をさ
れた反面,やや意外な顔をされたのを覚えています.その後,私は,音声認識
システムの完全な構築をめざし,音声グループやATRの自動翻訳研究所に移りま
した.

一方,池原先生は,ずっと機械翻訳の仕事をされていました.そして,”言語
の意味”を追いかけ,”三浦文法の新しい解釈”を求めていました.しかし,
翻訳言語研究に対する風当たりは強かったのを知っています.機械翻訳の歴史
は,コンピュータの歴史と重なっています.そしてコンピュータの計算速度,
記憶速度は飛躍的に向上したのに対し,機械翻訳はなかなか精度向上しませ
ん.度々,翻訳言語研究を廃止or縮小する旨の指摘を受け、その度に「継続は
力なり」と言いながら,苦労されていた姿がありました.その習慣が最後まで
抜けなかったのかもしれません.しかし,この苦労が,岩波出版の日本語語彙
大系に集約されています.この辞書は国内だけでなく国外からも高い評価を受
けています.韓国語や中国語の出版や,フランスにおける日本語研究の重要な
資料になっています.

その後,池原先生は,NTTを退職されて,鳥取大学に赴任されました.
このときに,ある程度ハードウエアの知識があり,自然言語と音声認識の知識
がある人を欲しかったのでしょう.私に声をかけてくださいました.
なお,池原先生は,35年ほど前に仕事の過労と風邪から,腎臓を悪くして週33時間の透析をする必要がありました.ですから,大学に赴任してから,ゆっく
りされればよかったのに,性格的にはできなかったのでしょう.常に前のめり
でした.”言語の意味”を追いかけていらっしゃいました.そして日本語語彙
大系の拡張を目指しました.この結果は,CRESTの支援により,25万パターンに
上る”鳥バンク”に集約されています.このデータは現在ネットワークで公開
されています.この研究をまとめた本は今年の6月に上梓されたばかりです.そ
して,これらの研究により,2007年の文部科学大臣表彰を受賞されました.し
かし,自ら”意味”に立ち向かうドンキホーテだよと言っていらっしゃたのが
印象に残ります.

池原先生の趣味は,”言語の意味の追求”でした,でも研究に疲れたときや,
時間があるときに植物栽培や歴史について語っていました.ある花を咲かせる
には,種の発芽において,水をやってはいけない,土を湿らせる程度でよい.
甘やかせてはいけない.学生も似ているね.云々.また歴史には幅広い知識を
もっていました.出身が鳥取県であっためか,特に日本の神話の時代に興味が
ありました.10月を”神無月”と呼びます.しかし出雲だけが”神在月”と呼
んでいます.この解釈は面白かった.他にもイナバの白ウサギの物語の不思議
さを延々と語っていました.白ウサギが皮膚病と想定したら,大国主神の治療
法は必ずしも正しいとは言えないそうですね.また,池原先生はヘビースモー
カーでもありました.私は”透析もされていることだし禁煙をされてはいか
が”と主張したのですが,..

池原先生の亡顔をみていると,疲れたとき長椅子で横になっている姿と重なり
ます.いまは,ただもう安らかにお休み下さいと言いたいです.でも,池原先
生のことですから.いまは,三浦つとむさんと
”表現”とはなにか? ”対象”とはなにか? ”意味”とはなにか?
などの言語学的論争に浸っているかもしれません.
ご冥福を心からお祈りします.

2010115		鳥取大学工学部知能情報工学科 
		准教授 村上仁一