坂田のホームへ > 備忘録へ
2013/5/20

『社会契約論』

ルソーの社会契約論について,無謀にもざっくり要約してみます. 一応モナドロジーの続きです.

まず気をつけなくてはいけないのが,ルソーのいう"主権者"が,社会契約を結んだ個人のことではなく社会契約を結んだ人間全体で一つを指す抽象概念だということです. ルソーは始原状態を「万人の万人に対する闘争」として設定しているわけではなく,ある程度の共同生活がなされている状態を仮定しています. 新しく社会契約を結ばないという選択肢もありますが,実際には社会契約を結んだのであり,自分たちである程度の権利を放棄してでも共同契約を結ぶことを選択したのだから,共同体の決定には従うであろう,というのが基本的な考え方です. 民主主義において改憲の可能性が残されているのは,自分たちで策定した憲法なのだから,責任は自分たちで担おう,という考え方が元になっているみたいです.

ところでルソーは,全会一致を理想として,小国家(都市国家)の連邦制を考えていました. しかし個人が自分の意志で選択している以上,全会一致はありえない,むしろなにかしらの強制力が働いて一致しているように見えます.

多数決で代議員や政策を決定するとき,多数派の人間が,自分たちに有利に働いて違う立場の人たちに不利に働く選択をするのであれば,それは多数派による専制とでも呼ぶべきものであり,以前の社会に比べてどこがよくなっているのかわかりません. そうではなく,自分たちの今の生活があるのは,新しく結ばれた契約を元にした"公共なるもの"があるからであり,たとえ一時的に不利益を被るとしても,"公共なるもの"が維持されるように選択することが,未来に存在するであろう"ユートピア"への漸近のために必要となります. このように振る舞うのが"主権者"であり,その意志が"一般意志"です. 個々人は"一般意志"を先取りし,"主権者"がそうするであるように行為するので,結果"公共なるもの"が維持されるということです. また,"一般意志"なるものはどうやって知ることができるのかというと,多数決で得られた結果が正に自由意志を反映したものとして現れているのだとすると,多数決の正当性をとりあえずは確保できるでしょう(循環論になってますが今は置いておきましょう).

以上かなり乱暴にまとめましたが,こんな感じのことが書いてあります. まあ民主主義はヨーロッパで発展したものなので,キリスト教がその大元になってても不思議ではないですね.