![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
♪今週のBGM♪ 「Let it be」THE BEATLS
|
Pick up Good Games in this week
今週は紹介に値するゲームはありません。不甲斐ない…
今週の江戸を斬る
★飯野賢治鍋パーティー
かつてはゲーム業界の風雲児と呼ばれと事もある飯野賢治。満を持して発売した「Dの食卓2」の大不振で、一般ゲームユーザーからの信用を決定的に失ってしまった。そんな落ち目一直線の彼がまたもやゲーム以外の部分でニュースになった。ファンを集めて鍋パーティー&トークショーを開催したのだ。あいかわらず場外乱闘でしか話題を作れない男である。情けない…
業界は彼を過大評価し過ぎである。チヤホヤするからひねくれる。自惚れる。作家の端くれならちゃんと作品で勝負しろ!商売にならない才能は趣味と同じだ!!
Pick up this week news
★酒井彩名とトロ(どこでもいっしょ)がCM競演
★ペルソナ2罰 発表
★次号ファミ通でFF9独占情報公開!
Project GM-ken
GM研代表こと私:保科裕二の卒業にともない、今週号の週刊GM研入稿をもちまして、鳥取大学GameManga研究会は組織解体することになりました。非公認サークルであるにも関わらず、最後まで4年間活動を支えてくれた友人達・ネットワークコミュニケーションの道を開いてくれたネット仲間・研究室の諸先輩・・・多くの人々の支援によって、このような独り善がりのページを4年も続けることができたのです。本当に4年間、ご愛顧ありごとうございました。
しかし、GM研は無くなってしまうわけではありません。GamaManga研究「会」からGameManga研究「所」へと進化して帰って来ます。公開時期は就職後の通信環境に大きく左右される事になりますが、遅くても8月までには公開しようと思っています。GM研会員の皆様には時期がくればメールでお知らせします。どうか気長にお待ちください。
新たなるGM研が掲げる最大のテーマは「批評」です。人間は誰しも他人には絶対に理解できない「自分だけの感性」を持っています。この感性を前面に押し出すと周囲の人間と折り合いがつかなくなってしまう。だから人間はその感情を押し殺し、万人が共感する「無難なもの」で自分を誤魔化しながら生きていくのだ。しかし、それでは本当の充実感は得られない!妥協の中から新しい創造物は生まれない!
だからと言って、誰もがやりたいようにやればいい、言いたいように言えばいい、というものでもない。他人の意見や趣味嗜好を尊重するのは大事なことだが、無視と尊重を勘違いしてしまいがちである。他人を無制限に認める事は無視していることと同じです。真剣に他人の事を考えれば、全く違う感性を持っているのだから感性の衝突が起こるのは当たり前である。「他人は自分の鏡」という言葉があるように、他人を真剣に考える事は自分を掘り下げる事でもあるのです。批評とは最も手軽な自己表現とコミュニケーション手段なのです。
GM研は、批評の「場とルール」を提供し、そこで交わされる言葉の力を実行力のある「世論」へと昇華させ、現実世界に影響を与えていきます。いわば言論の3次元化の役割を担う存在を目指します。
すごく大げさな事を言っているように聞こえるかも知れませんが、皆さんは深く考える必要はありません。改まって批評しようとしなくていいです。率直な他愛の無い意見でもいいのでガンガン投稿して下さい。意見を批評に、批評を世論に仕上げていくのは私の役割ですから。
これは私が人生を賭して計画している遠大な事業計画「Project GM-ken」の第二段階にあたります。この計画の全体像はあまりにも途方も無い計画なので誰にも話さないし、本人ですら可能なのか分かっていません。だからこそ、未来への種(希望)を蒔いておきたい。それが第二段階での真の目的なのかも知れません。
では、皆様、新たなるGM研の開設を楽しみにお待ちください。
最後に、4年間本当にありがとうございました。
2000/3/12 GM研代表 保科裕二
リッジレーサーV 2000/3/4発売 ナムコ Playstation2
PS2の初期ラインアップの中で「リッジV」はおそらく一番無難な選択肢となったであろう。素直にハード性能を実感するには最適のゲームでもある。だからこそ、意外性に欠けるとも言えるのだが…
私はまだ語れるほど走っていないが、とりあえず最初に感じたのは「リッジレーサーレボリューション」の時と感覚が似ていることである。リッジRの時も美しさ以上に動きの良さに感動したし、「レイジレーサー」「R4」のような面倒臭さもないからだ。
贅沢な話だが画像の美しさにはすぐに慣れてしまう。そうなると勝負はどれだけプレーヤーのやる気にさせる事ができるかに掛かっている。走りの爽快感を追求する本作では、車種コンプリート等の目標が見えにくい(あるにはあるんだけどね)。
やはり残念だったのは、リプレイの保存ができない事である。レースゲームはRPGとかとは違って時間量で達成感を得ることはできない。もっと速く、もっとカッコよく。レースゲームとは究極のナルシストゲームなのである。リッジとGTの決定的な差は案外この点に尽きるのかも知れない。
世界唯一の思想闘争漫画「ゴーマニズム宣言」も新シリーズになって8冊目を数える。これまで幾多の自称文化人が論争を挑み、そのことごとくを粉砕論破してきた。長きに渡った歴史教科書作りも昨年末の「国民の歴史」(著:西尾幹二)出版によってひとつの区切りを迎えることになった。
この作品は間違いなく世界文学史に残る奇作である。これほど好き嫌いの分かれる書籍は後にも先にも存在しないだろう。しかし、一度この作品の魅力に取り憑かれたら、もう逃れることはできない。小林氏の整然とした論理に、圧倒的画力に、そして自分の内面から湧き上がる知識欲に。
誤解の無いように言っておくが、私は小林氏の信者ではない。私は観客である。ゴー宣を読む時の私は常に真剣勝負であり、文字通り寝食を忘れて読みふける。読後感想文を書く。夢の中でも思索を巡らせる。自分の言葉で理解できるまで納得できるまでこれを何度も何度も繰り返す。
私は歴史が好きだ。父が時代劇好きだったこともあり、小学校時代に図書館で毎日歴史の漫画を読んでいた。しかも、ボロボロで旧い方の漫画を好んで読んでいた。教科書は毎年簡単になっていくので、昔の教材の方が歯ごたえがあるのだ。小学生にして既にセンター試験レベルの歴史学力を身につけていたのだ。
中学生になって、私の歴史観は小説「銀河英雄伝説」によってロマンへと進化した。歴史と戦争と人間とイデオロギー。文化人が百万言を費やしても一般市民に伝えられない真理を、私はごく自然に理解することができたのです。歴史は私の第2の父母と言っても過言ではありません。
私はゴー宣によって現在の文部省指導下の歴史教育の惨状を目の当たりにして、憤慨も呆れも通り越して哀しくなりました。ひたすらに日本を卑下し韓国様・中国様のご機嫌を伺い、いつの時代も主役は常に虐げられる民衆。歴史にロマンの欠片も無い。それどころか歴史を捏造しているのだ!
その最もひどい例が、伊藤博文に関する記述である。現在の文部省指定教科書は伊藤博文を韓国を併合した悪人に仕立て上げ、伊藤博文を暗殺した安重根をカラーグラビア付きの英雄扱いしているのだ。しかし、これはとんでもない誤りである!伊藤博文は韓国併合反対派の最後の砦だったのだ。伊藤博文が暗殺されなければ韓国併合は実現しなかったのだ。…つまり安重根は英雄どころかA級戦犯なのだ!
このような歴史の捏造を堂々と行う文部省の教科書指導要領とは一体何なのか?これは薬害エイズ問題に匹敵する大問題だと思う。薬害エイズ事件は何千人ものHIV患者を生み出したが、文部省は1000万学徒に歪めた歴史観を与え、日本の未来そのものを破壊しているのだ!これは本当に許されざる暴挙である!
人間の命は儚くて脆いものである。生は死と常に隣り合わせなのだ。だから人は自分の体験を伝えるために歴史を作った。歴史は単純な記録ではない。様々な視点と立場と価値観で様変わりする物語でもあるのだ。人間は歴史に学び、そしていつしか自分も歴史の一部分になって後世に伝えられていくのである。神様などというあやふやな存在よりも遥かに神聖な人間の営み、それが歴史なのである。
私はこの作品に出会うことができて本当に幸運だったと思う。情報操作の悪意に骨の髄まで犯されてしまったマスメディアが伝えない「危険な真実」を知り、考えるチャンスを与えてくれたのだ。これからも「良き観客」として、氏の思想闘争の行方を見守っていくつもりだ。そして伝えよう。この作品を歴史の1ページとして。それがこの豊かな時代の曲がり角に生まれた私達世代の責任なのだから…
今週でしばしのお別れである。外部からのFTP更新も可能ではあるが、GM研が次のステップに進むために十分な準備期間が必要であり、枠の決まった週一の定期更新に甘んじるわけにはいかないのです。ご理解下さい。
引っ越しの荷造りも諸手続きもほぼ終わり、3年間を過ごした湖山のアパートとももうすぐお別れである。高密度かつ機能的に詰め込まれた倉庫のような部屋が好きだった。友人から譲り受けた自転車ともお別れである。ライトも後輪ブレーキも泥ハネも破損し、タイヤは坊主を通り越し崩壊してきている。そんな馬鹿自転車も好きだった。
卒業というのはいつも感傷的になるものだが、今度ばかりは不安の方が大きい。就職は決まったが一体どんな仕事をするのやらサッパリ分からないのだ。生活の時間も目的も完全に変わってしまうだろう。
だが、どこに行こうと何をしていようと私はワタシである。過程はどうであれ、目指す方向が変わらなければ良いのだ。卒業するとは言うけれど、何を卒業するのだろう? という歌が昔あったが、制度上の卒業には何も意味は無いのだ。自分を変えるのは自分であり、卒業はきっかけに過ぎないのだから。
始まりがあれば 終わりがあるように 終わりは全ての始まり
夢見る力 それは人間の可能性
記憶を思い出にして、旅人はまた歩き始める
新ゴーマニズム宣言(8) 小林よしのり SAPIO
編集後記
終わりは全ての始まり
出会いがあれば また別れもあるのです
人生は終わらない旅
夢を形に それが人間の歴史
終わらない夢を追いかけて…