メカいぢり日記


1998年10月15日(木) あいかわらず……

日本語環境もすばらしい先輩のおかげでかなり整う。あとはWnn系の操作に慣れることが課題。

実験の方も、データベースを手元に置けることと速いディスクのおかげで、約40分かかっていた処理を1分少々で済ませられるようになった。効率よくことが運ぶのはいいが、プログラミングのペースが追いつかず、どうしてもマシンを遊ばせてしまう。もったいない……。


1998年10月13日(火) 日本人の証

G200のX-Serverの件は、やっぱり一言アドバイスで解決。思えば随分このテの事に詳しくなったもんだ。起動すると確かに綺麗だと思う。でも字が小さすぎる。デフォルトフォントを大きくしないと、とても普通に読めない。しかしなかなか環境は整わず、xdm使うだけでログインできない始末。

PJEなる日本語化キットに着手。ファイルインストールや大まかな設定はインストーラが勝手にやってくれる。ほぼ全部手動のFreeBSD(98)より随分楽になってる。konした時のフォントのエプソン機(旧国民機)もどきっぽい感じが気に入り、せっかくのX環境をあまり使ってない。まだ日本語入力環境にはかなり不自由があるものの、表示ができるので当初の目的は始められそう。でもとりあえず、日没サスペンデッドということで続きは明日。

実行速度の方は、家のマシン(K6-200MHz)より5倍ほど速いくさい。MP3エンコードした結果なので、純粋な演算速度での比較に近い。今のところ、K6マシンでもさほど不自由してないけど、時間の問題なんだろうなぁ……。

うーん、こうして書いていて、^x^sを押してしまった。こうして身も心も染まっていくのだろうか……。


1998年10月12日(月) 高速マシンの第一歩

遂に高速マシンを私物化する。最高のゲームマシンだったが、いつまでも遊戯用にする訳にもいかない。

不調だったG200が戻ってきた。向こうでもしっかり動作確認取ったものの、元気そのものだという。実際動かすと確かにピンピンしてる。もっともこの前は別のマザー(確か「い号」と「は号」で確認した:今回は「に」号」)だったことと、BIOSのバージョンが違う(以前はV1.10で今回はV1.00……あれ?)ために完全同一の環境ではないとはいえ、別物ではない。もしや個体差による相性だろうか? メカの世界にもわがままな輩がいるんだなぁ……。何がともあれ、直ってよかった。

領域の切り直しをするため再フォーマットから始める。format中に一度ハング。どこか不安定なのかと心配になるが、その後再現しない。窓98を約1GBに留め、残りは全部Linuxに割り当てた。今の研究を存分にやるには、これぐらい必要(たぶん不足するのは時間の問題)になってしまうもので。

Slackwareのインストールに取りかかる。参考になる本はあったが、バージョンが少し古いだけながらもほとんどアテにならない。結局システムインストールは英文を読みながら終えてしまった。

しかし問題発生。Networkがつながらない。G200用XServerは外部に繋がらないと持って来れない。刺さってるEthernetカード(Intel eepro10/100)の認識にカーネル再構築が必要ということは判ったが、これがまたうまくいかない。カーネルサイズがデカ過ぎるだのサウンド設定が変だのと。うまくいっても、再起動後カード認識してもなぜか接続できない。さすがに10分前後でmakeが終わってしまうとはいえ、イライラしてくる。結局いろいろやっているうちに繋がってしまった。直接の原因が何かわからない分余計たちが悪い。

やっとX-Serverのインストールに取り掛かれるが、あるはずのG200が選択項目にない。MGAの近いボードを設定してもハングアップ。これはベテランに訊くしか。

結局日本語環境はまだ全く入っていない。サーバも直接使用できないし、メールは来てるはずだしで、早く解決しないと大変なことになりかねない……。

帰宅後、頼まれてた英語論文取り込み&準日本語化しつつ、先日借りたCDを聴く。ところが途中からまた、左チャンネルの音が出なくなる現象が再発。リバーブエフェクトを切手から症状が治っていて、それが原因だとタカをくくっていたものだから、かえってショックが大きい。しかも今回は、いつまでも治らない。あうぅ……。


1998年10月11日(日) 無益な日々

今日は真面目にお勉強……のハズが、しょ〜もないことで1日潰す。C言語での'\x0a'と'\10'が違うことがわからず、随分悩んでしまう。結局問題は解決したものの、理由が判らないままなので腑に落ちない。焼きメディアが安かったので購入したが、このM菱製、「錆びる」といういわくのある代物だった。

次期研究用マシンなどは、順調にWindows環境が整う。CD吸い出しも、若干遅いもののいい感じで行えるので、結構いいかもしんない。ただ、この環境も実はフォーマットする予定だったりする。ちょっともったいないかなぁ……。


1998年10月10日(土) ぶるじょあ〜

木曜の英語ゼミ発表の前後で、行動リズムが崩れおろそかになってしまいました。よそ様の日記ページなどをのぞいていると「毎日書いてないから日記とは呼べない」とか「日記を書くと他の記事が滞る」といった、胸に突き刺さる記事を目にしました。……なるべく努力する所存でございます。でも、日時を偽ってまで過去の日記を書いたりはしたくないので、結局日付は飛び飛びになるかもしれないです。ごめんなさい。

で、この間何があったかというと……
 ・研究室に新マシン来たる。最高級のゲームマシンとなりつつあるらしい。
 ・98環境構築。FreeBSDだけ何故かCD-ROMドライブを認識できず、謎のハングアップも起きるためインストールできない。結局例のSDATな4.3GBはUnformattedなまま……

う〜ん、あまり有意義な時間を過ごしていないですね。貧乏だから工房にも最近行ってないしぃ。

しかし、研究用となるマシンがペン太II-450(+若干クロックアップ)となりそうなのは、結構貴重な体験かも。テンポラリや処理時間を気にせずビシバシ走らせられるのは本当にありがたいことです。SlackwareとPJEも揃ってるので、がんばって移行しなければ。

といっても、一番面倒くさいのは、メカいぢり作業(再配線およびSCSI等のボード移し替え)と移動作業だったりするんですけど……。

で今度のマシンはなんどDVD-RAM搭載モデル。PDも使えるかなりの高級品らしい。まったく「ネコに小判」とはこのことか。実は“ゆぅ”は、ゲーム用にするつもりは全くといっていいほど無い。クラいかしら……。

このマシンの組立費用を「ちょっと」だけ試算してみた。すぐやめた。額が半端じゃない。基本部品だけで庶民のマシン一式できちゃう。これだけのマシンをこんなヤツが半年も独占してしまっていいのか? それに見合った仕事をこなせる自信は、ない。あうぅ……。


1998年10月6日(火) ごっちんこ

近々研究用マシンの異動がありそう。もしかしたら素晴らしいゲームマシンにありつけるかもしれない。キーボードはHappyと銘打ってながらUNHappyになりそうなので、結局に持ち込みになるかも……。とりあえず今は、環境構築がめんどくさい……。

自宅の98環境の再構成に取りかかる。プリンタ等の負荷分散、ディスプレイ交換、FreeBSD実験台、標準速CD-ROMドライブ有効活用などが目的。元々クセのある環境だけに、なかなかはかどらない。SCSIは遅いくせに装置3台を越えるとハングするわ、LANカードとビデオカード(CANOPUS PowerWindow801)がケンカするわでさんざん。どうやらICM製LANカードがI/Oアクセスを正確に制御しきれず、PWのレジスタアクセスに干渉しているくさい。遅いだけならまだ許せるのに……。


1998年10月5日(月) 長期テストの必要性

あれ?日付がズレてる。実時間とみなせば正しいけど……サボッた時に戻します。

昨日に続き、ペンII4兄弟に手を出す。

不良のG200は、一旦うまく起動すれば、そこそこ動くらしい。8bit(256色)や16bit(65536色)モードは四角いゴミが飛び交ったりゴミが画面を汚したりと見苦しいが、24bitや32bitモードは意外と安定している。しかし起動ができなければハングして終わりなので、見逃すわけにはいかない。結局返品交換することになりそう。再現性が今ひとつだけど、まさかそのまま返ってくることはなかろうて……。

4兄弟のうち3台は400MHzのペン太II。クロックアップにどれだけ耐えるかは興味深いところ。とりあえず、どれも100MHzx4.5では動作しない。103MHzx4ではどれも動く。窓起動&いぢり程度で試した限りでは、112MHzx4でも問題なく動くらしい。しかしシステム中の稼働部分はほんの一部に過ぎない。いろいろ試さないと、潜在的不良個所は見付けられない。早いとこ引取先を決めて、各自動作チェックしてもらった方が良さそう……。

修行に出ていたメル子HDDが帰ってきた。世話先で大変な迷惑をかけたらしいが、成果もあった。やはり速くないこと、SCSIバスの安定性に(高速ドライブ並に)敏感なこと、内蔵移植可能なこと、ただしメーカーを選ばないと相当不幸になることなどが判明した。何だか出掛けて行く前よりも(不安が)大きくなって帰ってきた気がする。98マシンに付けてファイルサーバ用ドライブにでもしようと考えているのに……。


1998年10月4日(日) 組立三昧

昼から研究室のマシン組立てに取りかかる。久々の本格的なメカいぢり。

数日前MatroxのG200が来て、部品が揃っていたためやっと本格的に取り掛かれた。有能なアシスタントにも手伝ってもらい、比較的楽に進める。しかしそれでも、同じようなマシンを立て続けに組み立てるというのは、あまり面白いものではない。

先日組立ててG200待ちだったマシン2台と、新規組立て2台。相当まぎらわしいので、順に「い号」「ろ号」「は号」「に号」と仮名をつけてしまった。言語学の最先端をいく研究室なだけに、このアナクロさはかなりのギャップを感じさせる。

「に号」あたりになると、残った部品も少なくなってくる。なんとWIDE-SCSIフラットケーブルが無い。以前不良と確認したのが在ったが、やはりどこの部分を使っても不良は不良。結局唯一高速のPentium-450MHzマシンはHDDを繋ぐ術がなく、死ぬほど速いFDDマシンとなってしまった。おそらく世界一速いFDDマシンだろう。おまけにDVD&PDドライブまで付いているのだから涙が出そう。

一通り完成したところで「い号」から順に窓98を入れる。以前Linuxまで動いていたけど、環境が少し変わった時にいろいろ不具合を起こしそのままになっていたので、結局フォーマットしてしまった。しかし何故かG200のドライバを入れると画面に派手な模様を出してハングアップ。ドライバを替えても駄目。BIOSアップデートも効果なし。

悩んでも判らないので、「ろ号」に取りかかる。同様の手順を踏んでいくと、あっさり映った。もしやG200の不良か? と思いつつ、まだ確定はできない。どうやら窓98を入れる前に、マザボのBIOSの「PnP OS 使用」の項目を「Enabled」にしていなければ、リソース割り当てがぐっちゃぐちゃになるらしい。メモリ領域 0h〜7FFFFFh を全部取られたら、そりゃ動かんわなぁ……。

「い号」と「ろ号」の設定も若干違うため、「い号」が不良とはまだ断定できない。そこで全く同じ手順で「は号」もインストール。ちゃんと映った。となると、ということで、再度「い号」にも同一の手順を適用。またハングった。ということで、めでたく「い号」のG200の不良が確定的になった。

しかしこのままマシンが使えないのも困るので、「い号」と「に号」のG200を移し替えて、い号も正常に動き出した。これで4台のうち3台は使えるマシンになった。残りの「に号」が同様に動き出すには、ちょっと時間を要するかもしれない。

この「に号」の不良G200、通常のVGAモードは何ともないのに、ドライバなどが高機能を発揮しようとするとハングる。こういう故障もあるのね。

それにしてもG200は熱を出す。クロックアップの最大の障害となりかねない。AGPに付けるので位置的に放熱しやすくするのは難しい。これから大丈夫かしら……。

本当はLinuxも入れて試したかったけど、さすがにめんどくさくなってたのでパス。FD Linux 動かしてもしょうがないし。

これらの4台のマシン、今まで研究用としての視点からしか見てなかったけど、こういったマシン、実はゲーム用と見ると最高かもしれない。エミュレータ系もサクサクだろう……あぅ……。

サークルの方へ行ってみると、大阪買い物組がとうに帰ってきていた。一人組立が居て、なんと同じマザー(Aopen AX6BC)だったりする。その場で組立て始めていたが、仮接続するも一向に反応なし。スピーカーを接続すると何やら不吉な警告音を発する。一応Celeronは無事らしいけど原因が判らない。PowerWindow968を持ってきて接続してみても反応なし。

さっぱり原因がわからないので、昼間作業していた部屋へ持っていき、一番トラブルと無縁な「は号」と部品を交換しながらチェック。G200を挿したら動き出した。他の部品も試してみるも異常なし。となると、ビデオカード(ViperV550? TNT Chipのヤツ)の不良か、はたまた相性か。PowerWindow968が「は号」であっさり動いたのが新たな謎となる。結局持ち主は他のマザボでの動作を確認すべく、誰かの処へ行ってしまった。

そして帰ってこの日記を書いてるけど、こうしてみるとやはりG200の画質はかなり綺麗な部類だと思う。アレが普通だとすると、RIVA128の画像は相当ヒドいものかもしれない。悲しさか目の痛さか、涙が出てくる。画像の綺麗で3Dもそこそこのビデオカードが欲しくなってきた……あうぅ。


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