PC-9800骨董品展

初代からの様々な機種を通し、日電の素性を探る……

このコーナーについて

スペックなど資料的な内容はその手の本に任せるとして、どういう背景のもとで、どういう意図で生まれたかを記述していく予定です。残念ながら現在画像を入れる手段がありません。

今でこそ酷い商売のイメージのあるNECですが、当時は斬新な機種を次々と発表していたのです。頻繁に出る新機種に泣かされるユーザは多かったのですが、それだけ新機種が魅力を持っていたという証です。それに較べて今は……ねぇ。


PC-9801

記念すべき初代機PC-8801の上位機として発表され、破格の本格16bit機という理由でかなり売れたようです。当時IBM-PCが既に在りましたが、日本語が使えないという点が致命的で、しのぎを削っていた8bit機たちの敵ではありませんでした。

CPUにi8086を採用したことはもはや常識ですが、廉価版のi8088を使わなかったところに開発陣のこだわりが見られます。i8088を搭載したIBM-PCは、後にボトルネックとなり大幅な仕様拡張を迫られることになっています。またコプロセッサ(10万円以上していた)を搭載することで更なる演算性能アップが可能という点は、従来考えられないことでした。

グラフィックも優れたものでした。640x400dot/8色というモードは8ビットマシンではほとんど実用化していませんでした。それに加えてGDC(Graphic Display Controller:現在のグラフィックアクセラレータチップに相当)を2個(各々役割分担している)搭載することで、当時主流だった線や円の描画、消去を一瞬のうちにこなしました。ワイヤーフレーム(線画のみで図形を表現するもの)をスムーズに動かせる優れた能力でした。CPUからもVRAMを直接アクセスできるという柔軟性もあり、当時デモを見た人は衝撃的だったことでしょう。

初代機は用途が確定していなかったため、漢字ROMが標準搭載されていませんでした。仮名や半角2バイト系も使えなかったかどうかは定かではありませんが、せっかくの性能を活かすには必要なものでした。本体、高解像度ディスプレイ漢字ROMをセットで買っていくユーザが多数でした。

キーボードも汎用性を意識し、10ファンクションや定位置カーソルキー、変換(XFER)キーを装備。黒いベースに白いキーというデザインはPC-8801の兄貴分を意識していたようです。

ディスクドライブは非搭載で、貧乏なユーザはCMTボードを買いデータレコーダを使っていたようです。1200baud出た上、PC-8801との互換性も高かったのが利点でした。当時フロッピーディスクドライブは1台10万円前後だったので、無理もありません。

フロッピー用途も強く意識しており、当時主流だったPC88x1用の5インチ2Dタイプのインターフェース(以下IF)を標準装備、さらに高級品の8インチFD IF(後の2HDタイプ)も標準搭載でした。8インチフロッピーは当時としてはかなり高速で、ビジネスソフトを8インチで使うスタイルの王道を進むことになりました。この時の1.0MB/1.2MB規格が、後の3.5インチに引き継がれることになります。

PC-9801系が他機種を圧倒していた機能の1つが、このフロッピードライブ性能です。DMA(DirectMemoryAccess:CPUを介さない)転送を採用することで、CPUに負荷をかけず理論速度近くの高速転送が可能でした。音楽を鳴らしながら、あるいはアニメーションを続けながらアクセスできるという、当時珍しい機能を最初から実現していました。

将来の拡張性を重視した点も評価できます。内部バス直結のスロット(現在のCバス)を6スロット装備、BIOS ROMを拡張ボードとして装備することにより、将来の仕様変更に容易に対応できるようになっていました。結局仕様変更はなく、ROMのバグも些細なものでしたが、この柔軟さが当時のNECを象徴していると言えるでしょう。

内部はすべて汎用部品で組み立てられており、回路図まで一般公開されました。部品がびっしりと基板に敷き詰められており、かなり豪快な本体でした。


PC-9801F

初代機のヒットの後、さらに強化して出した2代目です。世間ではE/F/Mと称されますが、最初に出たのはF1/F2の2機種で、直後にEが発表されたはずです。Fという型番は、フロッピーのFに由来します。

デザインが大幅に変更され、実用化後間もない5インチ2DDのフロッピードライブ(以下FDD)が2台も内蔵(F2)されました。値段(¥398,000:F2)は10万円近く上昇しましたが、スペックの割に安いという理由で初代を上回る人気となりました。基本性能が5MHz→8MHz第1水準漢字ROM標準装備という点もビジネスユーザの心を掴みました。BIOSも改良されCPU以上の高速化が実現されました。キーボードも改良され、後のPC-9801の標準スタイルを確立したのです。

グラフィックは、画面数が2倍になり、描画中のチラツキを隠すことができるようになりました。この拡張はスムーズなアニメーションを実現させ、後の98文化に大きく貢献することになりました。

この頃になると、ハイエンドユーザはハードディスク(以下HDD)を使うようになりました。初代機では不可能だったHDD起動を可能にし、快適な環境に貢献しました。柔軟な起動プロセスを採用したため、後のSCSIでも起動できます。

しばらくしてHDDマウスIFを搭載したF3が発表されました。メインメモリを256KBに拡張、第2FDDを外し、そのスペースに10MB/5インチHDDを搭載しました。マウスIFも搭載しビジネスユーザを狙いました。一方IFのために拡張スロットが2に減りました。スペックは素晴らしかったのですが、80万円以上と「安い98」のイメージと外れ、一般にはウケませんでした。

岐路にあるFですが、同時にPC-9801アーキテクチャを固定することになりました。この時点でIBM-PCの機能を取り込むことは可能だったのです。


PC-9801E

初代の直系後継、性能強化版、Fの廉価版として発表されたのがEです。エコノミーのE、あるいはドライブ無し(Empty)のEといわれます。

値段は¥218,000と益々安くなり基本性能はF並みと、バランスの良いマシンでした。しかし漢字ROMは非搭載、8インチFDDユーザ対象にしてはIF非搭載と、中途半端なイメージは拭えません。実際一般にはあまり売れなかったようです。

“ゆぅ”としては、デザインが非常に気に入っています。FはFDD搭載のためにズングリしてますが、Eはスマートかつ控えめで、ディスプレイの置き台にふさわしいデザインです。前面スイッチも2個だけというシンプルさ。たまりません。

拡張スロットが6個と、PC-9801最高の拡張性を誇ります(PC-9821のタワー型にはかないませんが)。IFカードを沢山挿せるので、研究室などに人気があったようです。

基板がFと同じと一般に思われているようですが、両方を比較すると(なぜか持ってる)似ているものの違っているようです。拡張スロットの数の違いなどで、同一にはできないのです。

余談ですが、PC-9811というI/O拡張BOXがありました。これのベースはEであり、部品にその名残りが見られます。拡張数(6-1)という中途半端な数もこのためなのです。


PC-9801M

Fが出た頃、5インチ2HD規格が定まりました。大容量8インチ規格を小さな5インチに納めたものです。当初は磁性体の問題もありましたが、各社がドライブを発売したことで徐々に浸透していきました。Mはそういった流れの中で、2HDドライブを内蔵させて発売されました。

基本構造はFそのままFDDが置き換えられ、内蔵IFも8インチ用(PC-9801-15相当)に変更されました。標準搭載メモリも256KBに拡張され、マウスIFも搭載されました。

上記の通り2HDは8インチFDをそのまま小型化したようなものなので、それまでの資産を直接受け継ぐことができました。規格では3トラック増えるのですが、記録密度の問題もあり滅多に使われることはありませんでした。

このように時代に乗ったかのように思われるMですが、Fと同じ基本スペックは既に色褪せ、また短命だったためあまり売れなかったようです。当時の市販ソフトは8インチと2D/2DD共用タイプが占め、それらが直接使えないことも弱点でした。


FC-9801

高性能で安いパソコンとして浸透しつつあった98、工場などの過酷な条件で使われる機会も増えていきました。そこで耐性を上げたのが「FC-9801」です。ベースはEで、ノイズ対策や埃対策が施され、剛性も高められました。当然一般向けではなくほとんど見掛けませんが、いまだに現役で使われている例もあるようです。後にFC-9801VFC-9801Rと引き継がれていくことになります。


PC-9801U2

「新98」の到来を思わせる機種です。CPUに上位互換で高速なV30(8MHz)を搭載、アナログ4096色表示(オプションで16色)、スーパーインポーズ機能(オプション)対応、3.5インチ2DDのFDD2基搭載し、一気に小型化しました。マウスIFも内蔵化されました。漢字ROM第2水準まで標準搭載、PC-8801SRで好評だったサウンドボードも内蔵可能になりました。個人ユーザを対象にしていたようですが、同時発売されたプラズマディスプレイと組み合わせて携帯用にされたようです。

不幸にもゲームユーザを中心に発売当初から嫌われました。VRAMが1画面分に減り、正常表示できないソフトが多数あったのは致命的でした。2画面化の改造記事が雑誌を賑わせましたがコストがかかるものでした。メインメモリも128KBに減り、増設を余儀なくされるものでした。市販ソフトを動かすためには外付けFDDとIFを揃える必要があり(当時はコピープロテクト全盛時代)、そのくせ拡張スロットは2しかないという、何とも中途半端な感がありました。

この機種が出て「V30搭載デスクトップ(後のVM2)が出る」という噂が流れ、買い控えが起こりました。U2の設計思想はよかったため、後のUV2への布石になります。

この頃フロッピーの主流は5インチ2DDで、2Dのディスクは2DDのFDDで読めたので、2D専用FDDの需要はなくなりつつありました。NECがコンバータを提供し、U2から2D用IFが外されました。しかしNECから別売IFが発売されることはなく、サードメーカが独自に提供するに留まりました。実体は8ビット3組の入出力パラレルポートだったので高速転送の可能性を多く残していたのですが、役立つ間もなく惜しくも抹殺されたのでした。あと3年生きていれば、何でも接続できる便利なポートになっていたことでしょう。

U2からアナログ表示が使えるようになりました。さらに拡張グラフィックボードを使うと4096色中16色できるようになり、GRCG(Graphic Charger)による高速描画が実現されました。しかし上記の通り画面数の問題があり、真価を発揮するのはVM以降となります。


PC-98XA

U2に並ぶ駄作伝説を生んだXAですが、将来性を見越した設計となっていました。まだ珍しかった80286採用、高解像度(ハイレゾ)モード採用、抜群の拡張性と斬新な機能をふんだんに搭載していました。NECは、このスペックを標準にしたかったようです。

ヒットしなかった理由としては、PC-98という称号を与えたことでしょう。とにかく互換性が乏しかったのです。また約60万円と高価だったため、パソコンという位置づけは不適切でした。当時NECN5200シリーズというオフコンも出しており、それとの競合を避けたかったのでしょう。一度モデルチェンジしていますが、ほとんど変更もなく不振に終わりました。それでも高解像度を要求する分野では受け入れられ、設計用などでは用いられたようです。

インターレス方式のディスプレイを使用するという点も特異でした。水平周波数を下げてコストダウンを図ったものですが、長残光ディスプレイでの動きは液晶ディスプレイのようで、ゲームには全く不向きなものでした。


PC-9801VM2/PC-9801VF2

F以来の大ヒットとなった機種です。VFFの後継、VMMの後継という名目でしたが、VMの2DD/2HD両用FDDの互換性が非常に高かったため、VMが主流となりました。

FDのスペック差は、VMが両用FDDに対しVFは2DD専用という点でした。しかしVFのドライブも両用タイプであり、IF交換でVM相当にするという改造が流行しました。この頃からNECの差別化に歪みが現れ始めました。Eの後継としてFDDなしのVM0も用意されました。

アナログ表示(16色はオプション)、384KB搭載、V30-10MHz(VM2)となり、U2で採用された様々な新機能も取り込まれました。BIOSも見直され、速度もかなり速くなりました。当時の普及価格帯パソコンの中ではトップだったようです。

特にグラフィック機能はアナログ表示とGRCGが標準搭載され、さらなる高速表示が実現されました。後の肌色文化は、ここから始まったといえるでしょう。実際には互換性のため、アナログ表示がフルに使われるようになるまでは3年位かかりました。

互換性にも配慮されていました。拡張スロットの仕様に若干の変化があったのですが、従来と同じスロットも残されました。また「8086ボード」と称する拡張ボードが用意され、装着して切り替えることで本物の8086で動作させることができました。実際はほとんど変更の必要もなく、周囲がVMに対応したため、ほとんど問題になることはありませんでした。

VMは、CPUと同期し外部バスも10MHzで動くように設計されていました。ここまで高速なデバイスは当時少なく、動作しない装置やソフトが多数ありました。高速計算のコプロセッサを使うためにクロックを落とすという笑えない話もありました。これに懲りたのか、NECは以降Cバスのクロックを8/10MHzから上げなくなりました。結果として後々までボトルネックとなり、様々な拡張バスを作りさらなる不幸を巻き起こしたのでした。


PC-9801UV2

あの不幸なU2を改良したものです。16色のVRAMを2画面搭載、メモリは内部増設限界の384KB搭載、サウンドボード搭載済み、3.5インチ2HDのFDD2基と、後のゲーム標準環境を最初に満たした機種です。CPUもV30-10MHzと当時としては高性能、価格も若干のアップのみとあって、そこそこのヒットとなったようです。

この機種もまた、新しいフロッピー規格を採用したものでした。8インチ、5インチと引き継がれたフォーマットを3.5インチで実現しただけのものですが、扱いやすさが大きく向上しました。個人向けに普及させたかったようですが、当時3.5インチメディアは高価で、またソフトも皆無だったため普及するまでに時間がかかりました。


(以降は近日追記予定です)

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